迷子の医者(35)

5月31(木曜)
あさくら病院での十五日目
父親の余りの発言に私は怒り狂っていたが、長年連れ添った妻のその変わり果てた姿に父親なりに強い衝撃を受けていたのかもしれない。
生来が単純で、思った事は直ぐ口に出してしまう父親であるから自分の中の不安を、母を失ってしまうかもしれないと云う精神的な動揺を、あの様な言葉で表現したのかもしれない。
それにしても私の父親への怒りは、なかなか収まらなかった。
しかし、それとは別に感動的な嬉しさもあった。山藤婦長が、あさくら病院に転院以来、母の病室に毎日の様に果物を運んで来ていると云うのだ。
それを母に聞かされて、私は目頭が熱くなって来た。それも、ただ運んで来るだけではなく冷蔵庫の中を毎朝、改めて母が何を食べたかをチェックして、常に補充を欠かしていないと云うのだ。
かつて妻の典江が体調不良で、あさくら病院に数日間入院した時に山藤婦長の看護を見て感動の余り、
「まだ本物の看護婦さんがいるのだ!
婦長さんが黙って横にいるだけで体の痛みが薄らいでい行くから、不思議よね」と言った事を、
私はしみじみと思いだした。
6月1日(金曜)
あさくら病院での十六日目
午前4時、病院からの電話で起こされる。母の疼痛が強いのでナースから指示を仰ぎたいとの連絡だ。
「ボルタレン坐薬50mgの使用で様子を見て」と頼み、
また直ぐに寝てしまう。母がどれだけ疼痛で苦しんでいるかを考えるより、自分の睡魔に負けている。
午前8時50分に出勤。母はウトウト眠っている。ボルタレン坐薬が効いている様だ。そんな母の寝姿を見て、私の心も落ち着いた。
パート医、外村医師のアドバイスで点滴の補液量を極力少なめにして520ml
までに抑える。
「下手に麻薬の使用量を増やすより補液量を少なめにして脱水症に持って行った方が、生命現象が低下し疼痛が軽減されますよ」
と云うのが、彼の見解だ。
確かに雪山で遭難し、そのまま凍死して行く状況は、以外と苦痛を伴わないとも言われている。
患者さんの栄養状態を良くすれば、それに伴って癌細胞の増殖はより活発化し、癌患者の苦痛を強めるだけだと云うのは、よく知られた事実だ。
だから脱水症もしくは餓死に近い状況にゆっくりと持って行くのも、癌末期患者への優しい労りに満ちた医療行為とも言える。
医学もかつては、広い範囲の中で哲学の一分野と考えられた時代があった。宗教学と同一線上に置かれた時代もあったのだ。それは共に永遠の謎の神秘を秘めているから…。
人の生と死、神の国はあるのか!
肉体が滅んでも魂は残るのか!
医学だでは救えない人の生命!
誰が救うのか…ましてやその魂を!
自分の中で生涯の命題を
また自問自答している
15才の年からの自分への
果てしなき問いかけ…
性癖とも言うべき自己存在への疑問
人は何の為に生きるのか?
19才の時の初めての自殺未遂
大学受験に失敗し、淡い恋も消え去り
生きる意味を求めても答えは得られず
悶々と過ごした青春の日々…
今、母の死を目前にして
忘れかけていた私のかつての性癖が
自己存在への疑問が…
ぐるぐると空回りしている。
明日に続く
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