迷子の医者(38)

6月7日(木曜)
あさくら病院での二十二日目
梅雨入り二日目、小雨が降り続いている。母の病状は一進一退を繰り返していた。顧問弁護士の矢島先生が母の見舞いに来る。
病院開設以来の顧問弁護士だから15年以上の付き合いだ。女性弁護士ながら頭の回転が鋭い敏腕弁護士だ。もちろん母と面識はある。
「お母様には、確かにお気の毒ですが、それでもご自身が育て上げた息子さんの病院で、その最期を看取られると云うのは、これ以上の幸福もないと私は思いますが」と、
慰めとも労わりとも言えぬ話をした後で更に説明を加えた。
「確か、ご両親の財産名義はすべてお父さま名義になっていましたよね」
「はい、それが何か?」
「いや、余計な話だとは思うのですが、先生がお医者様としてお母様の看病に専念している間、お父様は寂しく不安定な精神状況に置かれていますよね」と、意味ありげな言い方をして来た。
「確かに、その通りですが今の私では父の面倒にまで手は回りません」
「そりゃそうでしょう、この病院の運営だって大変な仕事なのに今はお母様の看病まで日夜献身的な努力をなさっているのですから。でも、お父様が寂しい状況に放置されているのは事実です。問題は、その寂しさに言い寄る人です。つまり妹の智子さんです」
「良いではないですか、智子が父の面倒を見てくれりゃ何も文句を言う事はありませんよ」
「その通りなのですが、問題はお父様の寂しさの心の隙間に入りこみ智子さんが、お父様の遺言書を自分にとって都合の良い様に書き直してしまうかもしれないと、私は恐れているのです」
「そんな馬鹿な、妹に限ってそんな事はあり得ませんよ」と、
私は矢島弁護士の話を一蹴した。
ともかく、この数ヶ月間は昼夜の別もなく母の看病に尽くし、身も心もボロボロに疲れ果てているのにその隙間を狙って父の遺言書を書き直させるなんて事があるのか?
確かに弁護士らしい発想だが、
母の明日とも知れぬこの時期に、遺言書がどうのこうのと聞かされても私には何の実感も湧かなかった。
後で矢島弁護士の忠告が、その予測通りとなって私たち兄妹は分裂の危機を迎えてしまうのだが、その時の私は世間知らずのただの医者でしかなかった。
午後11時に病院から連絡
「母の血圧が70~80台を推移している」との報告だ。
ともかく2~3時間でも寝てしまおとベッドに潜り込む。
6月8日(金曜)
あさくら病院での二十三日目
午前4時半病院に着く。母は完全なる昏睡状態だ。血圧は76/40、脈拍数126回、マスクでの酸素濃度6L、SPO2が95%で心肺機能は極度に低下していた。午前5時半に弟を、6時には妹を呼ぶ。兄妹三人、話す事もなく黙って母を見守っていた。母の寝息が静かに伝わって来るがマスクから流れる酸素の音がそれを上回っている。しかし今この時、母は確かに生きているのだ。午前10時、弟が成城学園から父を連れて来る。
今日の昼頃が母の生命的限界だろうと考え午前11時には親戚中に連絡を入れた。午後1時になって浅草の母の妹夫婦もやってきた。午後4時過ぎになっても母の病状に全く変化は見られない。
この分だと後2、3日は保つかもしれないと私は考え直し、みんなに帰ってもらうことにした。父は弟が自分の車で成城学園まで送って行った。午後6時私も一度自宅に帰る事にした。
明日に続く
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