迷子の医者(39)

6月9日(土曜)
あさくら病院での二十四日目
昨晩は妻典江の母が病院近くのホテルに泊まった。午前11時半に妻の母と成城学園の実家に向かう。父とは初対面である。妻典江と結婚して10年も経っているのに、私の父と典江の母が初対面だと云うのも随分と変な話ではある。この成城学園の実家に来るのも始めてなのだ。どちらも社会常識に馴染めない人達だから、こんな非常識が成り立つのだろう。
父は元気がなく、何時もの様な豪放磊落(ごうほうらいらく)な勢いはすっかり影をひそめ、社交辞令的な挨拶に終始していた。20分程で成城学園の実家を後にし義母と二人、あさくら病院に向かう。義母は10分程病室で、私の母を見舞うが意識のない病人の前で、それ以上いつづけるのは何とも間の悪いものである。午後2時、義母は帰って行った。今日の見舞い客は義母の一人だけだった。
昨日は親戚中が集まったが、今日は不思議に落ち着いた日だ。母の呼吸状態もぎりぎりの所で保っている。
私も午後5時には自宅に戻る。
6月10日(日曜)
あさくら病院での二十五日目
午前5時に病院から電話
「母のSPO2が測定出来ない」との報告である。
セブンイレブンで、おにぎりや飲み物を幾つか買って午前5時45分病院に着く。6時には事務長が6時半には弟と妹がやって来る。午前7時、血圧70/32、脈拍数120、SPO2は測定不可。血圧が60を割り込んだ所で成城学園に電話を入れる。午前8時だ。電話に出た父は
「もう疲れた、息が引き取ってから行く」と言って、
そのまま電話を切ってしまった。
それでも午前9時には一人でやって来た。一時間近く父は母の側に座っていたが、それ以上は我慢出来ず妹の車で成城学園に帰ってしまった。
午前11時50分、母の心臓は止まりかかっている。それでも父を送って行った妹は戻って来ない。この際父の事はどうでも良かったが、母の最期に間に合わない妹が気の毒だった。
自分の妻が後数時間で、この世と決別して逝くと云うのにそれさえも待てない父を、私は心の底で憎んだ。
その父の我が儘に付き合わされた妹の事を考えると、居ても立っても居られない。不本意ではあったが、私は胸の内で母に詫びながら妹が到着するまでと、心マッサージを始めた。
午前11時53分やっと妹が戻って来る。
私は心マッサージの手を止める。
午前11時55分
母、永眠…
私は一人で院長室に戻る。誰も入って来れない様に中から鍵をかけた。
「お母さん!…お母さん!…」
荒れ狂った様に号泣していた。
誰にも見られず、ともかく心行くまで一人泣き続けていたかった。
10分程して洗顔を済ませ、何事もなかったかの様な顔で母の死亡診断書を作成した。
さあ、これからが大変だ。
弟が予約しておいた葬儀屋が、午後一時にやって来たが、余りに鈍臭い親父風でとても頼む気にはなれない。事務長に即効キャンセルさせ、弟には
「まともな葬儀屋を探して来い!」
と、厳命する。午後三時に弟から電話
「やっと、まともな葬儀屋が見つかったから。これなら兄貴にも納得してもらえそうだ」
と、言って来た。午後三時半に新しい葬儀屋が来る。それから一時間近く兄妹三人と事務長で葬儀スケジュールの話し合い。葬儀委員長は事務長に命ずる。
明日に続く
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