迷子の医者(40)

➖ 終章➖
6月10日午後4時半やっと母を病院から送り出す。妹が霊柩車に乗り込み、私の車で事務長と弟がその後を追う。
日曜の夕方は道路が混んでいる。「総合斎場」に着いたのが午後5時半。弟が私に厳命され探しただけあって、妹も私も納得した。兄妹三人と事務長とで線香を上げ、母を安置し四人一緒に病院に一度戻る。そして親戚中に電話をしまくる。浅草、千葉、大阪と兄妹三人が手分けして電話をした。
午後八時自宅に戻り、先ずは風呂に入る。そして久しぶりにビールを飲みながらの夕食。しかし、その間も大阪の親戚から電話が入ったり、葬儀屋から電話があったりで落ち着かない。
今晩は絶対に寝るんだと決意して、睡眠薬を服用して午前1時半には眠りに着く。
6月11日(月曜)
定刻通り病院に出勤するつもりでいたが、目を覚ましたのが午前9時だ。
昨晩のイビキは結婚して以来10年間で最大だと妻が言う。家中が響き渡る様な凄さだったらしい。久しぶりの虚脱感からビールの後に日本酒までかなり飲み、それに睡眠薬まで服用していたのだから、およそ医者とは言えない無茶苦茶な仕方だ。
この三ヶ月間と云うもの、殆んど人間らしい生活を送っていなかったから、それらが一気に噴き出したのだろう。
基本的に医者の生活は過酷である。
一日に3~4時間の睡眠で昼飯を食べる時間もなく病院中を走り回っているのが救急体制を敷いている病院では当たり前の事と思われていた。
しかし、それも50才ぐらいまでが限界である。当時53才だった私に取って、
この三ヶ月間の生活は相当に厳しかった。不眠不休とまでは言わないが、それに近い生活ではあった。
そんな凄いイビキでは妻も殆んど眠れなかったに違いない。それでも妻は
「少しは眠れたの」と言って、
笑みを浮かべながら私の朝食を用意してくれた。
午前10時半に出勤、常勤の医師数名と
看護婦長が院長室に来て、
「院長先生、このままどうか一週間ぐらいは休んで下さい。後は私達で何とかやりますから」と言われ、私は
「皆んなの気持ちはとても嬉しい。でも40名の受け持ち患者は私を頼って入院しているのだから、そうも言っていられない。皆んなの力を借りながら少しは休ませてもらいながら無理しない程度にやって行くから大丈夫ですよ。
でも、皆んなの気持ちは有難く受け取って置きます」
午前11時から午後1時まで入院患者の回診。患者さん方の昼食の合間を縫って遠慮しがちに回る。
午後6時から7時「母の通夜の儀式」
父の意向で喪主は私。父が無宗教を貫いているので坊主も呼ばず、線香も上げず、献花だけの通夜であった。
病院関係その他ビジネス関係の人達は一切呼ばなかった。
40名足らずの、ささやかな献花の列である。喪主である私を除けば父が第一番目に献花をすべきなのだが、
「俺は一番最後で良い」
と、言い出す。仕方なく、私の次に弟、妹そして親戚の人達が順番に献花をして行く。
そして最後に父…
「残っている花を全部くれ」
と言って、10本以上を両手で鷲掴みにして、
「お母ちゃん、さよなら!」
と、涙まじりの大声を上げた。

➖ 完 ➖
予告 : 明日からの連載小説は「小さな贈り物」が始まります。
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