小さな贈り物(2)

しかし、そんなナナちゃんの期待を裏切るかの様に彼女の病状は悪化して行った。ステロイド療法でネフローゼ症候群はやや軽快し始めたが、その2週間後に肺炎を合併してしまいステロイド療法を大幅に後退させ、抗生剤とガンマーグロブリンの併用治療に切り替えた。
約一週間で肺炎はかなり軽快するが、次に襲って来たのがDIC播種性血管内凝固症候群(はしゅせい けっかんない ぎょうこ しょうこうぐん)である。

*注DIC*とは、本来出血箇所のみで生じるべき血液凝固反応が、全身の血管内で無秩序に起こる症候群である。早期診断と早期治療が求められる重篤な状態で、治療が遅れれば死に至ることも少なくない。

DICの治療経験は私に取って二度目の経験でしかない。一度目は母校の大学病院で10年以上は先輩医師の指導を受けながらの治療である。それも血液内科では誰にも一目置かれる様な実力のある医師であった。
医者になって未だ8年目の私が一人で闘って行くには荷が重すぎた。当然近くの大学病院に送るべき患者である。
しかし近くの大学病院と云っても何処も一時間以上はかかった。救急車に揺られ、そこまで命が持ち堪えられるかも疑問である。
ダンプ運転手のご主人とは何度か話し合った。本来なら大学病院か大きな総合病院で診るべきだと。しかし、そこに転送するまでにも大きな危険が付きまとっているとも説明した。
患者さんの母親も、30才のご主人も判断のつかぬまま28才の患者さんの命は私に預けられたままとなっていた。
そして私にも若さ故の気負いがあった。
「自分一人で何とか、この患者さんを治してみたい」と…
しかし、それは私一人の問題ではなかった。小さな病院のナース、二人しかいない検査技師たちの全てを巻き込んでの苛酷な闘いだった。
私は夏休みや休日の全てを返上した。私の小学ニ年と幼稚園の娘二人は妻共々夏休み中、病院宿舎に来てくれていたので、どんなに疲れ遅くなっても妻の手作りの夕食は口に出来た。
この支えは大きい。家庭と云う精神的な逃げ場と励ましが、どれ程私に力を与えてくれた事か。
それにしてもDICの治療は困難を極めた。全身性の出血班、歯肉出血、性器出血が著しく、血小板数は1~2万(正常値20~30万)と何時、脳出血を起こしても不思議ではない数値が続く。
ヘパリンの持続点滴、凍結血漿の間欠的な輸血、この輸血によるネフローゼ症候群の再然そして繰り返される肺炎と、息つく暇もない病魔との闘いである。1ヵ月半の間に呼吸停止が二度も来た。人工呼吸器も付けたり外したりで、その度に家族も呼び出す。
時にはナナちゃんも付いて来て
「ママは、お家に帰れないの?」
と、泣きべそをかきながら私に詰め寄る。そのつぶらな瞳で見つめられると、自分の医者としての使命が再び呼び起こされる。
「ナナちゃん、ごめんね。先生もママも頑張っているから、後は神様にお祈りするだけだよ」
と、答えるのがやっとであった。
「うん、ナナもお祈りする」
と、言われ私も何とかその場は切り抜けた。
しかし何としてもナナちゃんのママを助けたいと云う思いは強くなるが、事は単純ではない。
明日に続く
関連記事

コメント