青空を求めて(48)

9月3日(金)お泊まり保育
幼稚園でのお泊まり保育だが、4日(土)に見る先生方は大変だ。どの顔も皆んな疲れ切った顔をしている。先生方の誰一人として殆んど寝ていないのだろう。園内でのミニ花火大会、体育館での種々のゲーム遊び…
ともかく園児たちを徹底的に遊ばせ自然睡眠に導いて行ことしているのだろう。その先生方の努力には頭が下がる。
学園の教育方針に対して色々な批判はあるが、彼等の誠意に対しては称賛を惜しむものではない。それで幼稚園児の時代は学園に対する批判はほとんど聞かれない。どの親も自分の子供たちの未来に限りない夢を託しているから…
それが小学校も高学年になるにつれ、親の犠牲と多大な努力を強要する割に、その教育的効果に疑問を抱かせる事が多くなっていた。イベントの数ばかりが多くなり、本質的な教育に地道な努力を重ねているのだろうかと云う疑念が日々強くなって行くのだ。そのイベントの多さに感動している親たちも決して少なくない。しかし自閉的傾向の強い子供では、より強い情緒不安が呼び起こされている。強要される行事の多さに精神の不安が歪められて行くのだ。
子供の教育ではなく、親のエゴや学校のエゴと見栄ばかりが目立つ様になって来た。
しかし悠真が幼稚園児の時代は私たち夫婦も未だ疑う事を知らず、ともかくそんな学園の教育方針に歯を食いしばって付いて行った。他の親たちも皆があんなにも頑張っているのだ、私たち夫婦だけが躊躇している訳には行かない。何の目的も持たず受験勉強に妄信する親の様に、一流の大学を卒業させさえすれば一流の人生が保障されるかの様な錯覚に陥っていたのかもしれない。子供の心をどの様に育成して行くか、大人とは信じられる者であり、親とは何処までも自分たちを慈しんくれるものであると思える限り、子供の心は太陽の恵みを信じる向日葵の如く、その本来の花を咲かせて行くものだ。その本質は健常児であろうと、自閉症児であろうと変わらないはずだ。
それを大人の歪んだ編入感とエゴが、子供たちの本来のあるべき成長を歪めてしまっている事が多い。戦後民主主義教育の中で同一化、平等化、平均値化がさかんに押し進められ没個性化が非常に喧伝されて行ったのである。
優しく心を大切にする教育よりは、優秀な労働者を育成する事に国全体が汲々としていたのだ。その一方では権利と義務が履き違えられ世間は益々カオスの世界へと突き進んで行った。
9月22日(水)幼稚園遠足
9月も下旬になると云うのに外は未だ真夏の暑さだ。場所は都立小金井公園で現地集合の現地解散である。
午前10時15分に集合し、先ずは朝の体操から始まる。カンカン日照りの炎天下の中で体操も何もあったもんじゃない。保護者も一緒にやらされるのだ。
明日に続く
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