中沢家の人々(55)

「血糖を急激に正常に戻しますと、例えば600mgの血糖値を正常に近い120~140mgまで一気に落すとしますでしょう。
そうなると、その急激な変化に脳細胞が付いて行けないのです。何故なら脳細胞に栄養を与える物質は唯一、糖質だけなのです。脂質やタンパク質は一切関与していないのです。その為、糖質に急激な変化を与えると脳細胞の中の栄養バランスがコントロール不能に陥りやすいのです。
ですから早いテンポで血糖を正常にするのは、かなりの危険が伴ってしまうのです」
医師の説明は何か分かった様な、それでいて十分に理解出来ないものだった。紀子には少し難しかったようだ。ただ医師がそう言うのだから、そんなものかと云った程度に感じただけである。しかし、最も肝心な手術の話はどうなるのだろう。
「先生、ご説明はよく分かりましたが母の手術はどうなるのでしようか?」
医師は未だ理解出来ないのかと云った顔で
「今の様な糖尿病も十分にコントロール出来ない病状で開頭手術を行えば、さらに糖尿病の悪化を招くのです」
「すると手術自体が出来ないと仰るのですか?」
紀子は何か怒りをぶつける様な感じで医師を問い詰めた。
「残念ながら、その通りです」
医師はあくまで冷静に答えた。
「では、母の命はどうなるのですか?」
「誠に申し上げにくいのですが、最早打つ手がないと云うのが現実です」
何が現実だ!…紀子がさらに医師につっかかる様な姿勢を示したので、仲道が慌てて中に入った…
「そうしますと、先生は助ける事が不可能だと仰るのですね」
「極めて難しい状態です」
とだけ、冷静さを崩さず医師は答えて来た。未だ紀子は何か言いたそうであったが、再び仲道が医師に尋ねた。
「すると先生は後どのくらいの命だと、お考えですか?」
「はい、このままの病状ですと10日間が限界かと…」
「そんな馬鹿な!」
と紀子が吠えかかったが、仲道は静かに
「先生、色々と長い時間にわたりご説明を有難うございました」と、
医師に頭を下げ話を打ち切ってしまった。そして紀子の手を握り、そのまま病院の外に出てしまった。紀子の叱責は覚悟の上である。
紀子は気色ばんだ顔で
「仲道さん、何をなさるの。私は先生へのご質問を未だ終えていないのよ」と、
仲道を詰った。
「はい、社長へのご無礼は十分過ぎるほど分かっております」
「それでは何故、一方的に私の質問を遮ったの…貴方ではなければ絶対に許せないかも、今の行為は!」
仲道は真っ直ぐに紀子の顔を見て
「社長のお母様への思いは痛い程に分かっているつもりです。ですが、先生のあれだけのご説明で十分ではありませんか!…後は質問ではなく社長の怒りをただ先生にぶつけている様にしか見えないのですが…」
紀子はやや語気を高め
「まあ、何て言う仰りようなの!」
仲道は紀子を半ば抱きしめる様な格好になって、少し興奮気味に…
次回に続く
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