延命治療

STさんへの回答
「延命的治療を出来る限り追及していくか、静かな看取りの最期を望んで行くのか」とは、ある意味で究極の選択と言えるかもしれません。また兄弟や親戚の数が多ければ夫々の思いも違って、自分一人の感情さえ整理つきかねるのに他の多くの意見が入り乱れて事は増す増す複雑になるばかりです。ここは一つ落ち着いて基本に返ってみましょう。先ず第一はお母さまご本人の生命に対する意欲でしょう。認知症が強くその意志が表示出来ないのであれば、お元気な時の日頃の言動です。それらの総てを勘案してお母さまのご意志がどこにあるのか、もっと生きたいと思っているのか思っていないのかを考えてみるべきでしょう。さらに重要な事は(この事は割と軽視されていますが)、残された者たちの心の在り方です。認知があっても幾度肺炎にかかっても1日でも長く生きていて欲しいと強く願うご家族もいるのです。そこに理屈はないのです。長い親子の絆があるのでしょう。非常にドライな方もいればウェットな方もいらっしゃいます。何が正しいなんて事は誰にも言えません。他人には計り知れない家族の歴史、愛憎とも言うべき多くの感情の蓄積があるのです。人一人の人生の最期をどうすべきか悩むのは当然すぎる人としての心の有り様です。今日は延命治療を望み明日には看取りを考えたりする迷いにこそ、私には人としての本来の心模様があるように思えてなりません。結論を急ぐべき事は何もありません。これまでの親子の歴史の一つ一つを思い起こしながら「ねえ、お母さんどうしたい」と、その耳許で聞いてみて下さい。物言わぬ母かもしれませんが、きっと何かをあなたに囁きかけて来れるでしょう。それが総ての結論です。



超高齢化社会をわが国であればこそ、厚生労働省のシステムは、安心して保険診療、介護制度、年金制度が本当に安心して受けられるシステムに変えてほしいと願います。
うちの母は介護施設から病院へ入院し、退院した翌日に施設で誤嚥を起こして再入院。
再入院の病院は。別の病院でしたが1ヶ月程度で無事退院が出来ました。その後は施設と病院を行ったり来たりしております。家族として先生の回答にある、「延命的治療を出来る限り追及していくか、静かな看取り的な最後を望んで行くか」とありますが、苦しんでいる母を見ている家族と、元気なところしか見ていない母の兄弟では、話し合いを行っても病院に求めるものが違ってきます。話し合った内容も,私自身が担当の先生の前では変わってしまうこともあります。実際に考えすぎて答えが見つからず、苦しんでいます。
質問自体がぼやけていると思いますが、こんな私たちに何かアドバイスをお願い致します。

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