潮騒は聞こえず(1)

潮騒はこの世の常である。波に任せて人は笑い、嘆き、そして死んで逝く。何故に生まれ、何故に死んで逝くのか、幸福とは何か、不幸とは何か、富も栄光も唯の空蝉(うつせみ)にしか過ぎない。その理(ことわり)を忘れ、人は喘ぎ、苦しみ、そして傲慢になる。王者の夢も乞食(かたい)の夢も所詮は取るに足らぬ物である。こらから書かれる物語は、1945年の終戦から現代に生きる或る一家がテーマと成っているが、種々の人間模様を通して現在社会の病根と実態を私なりに描いて見たかった。では物語を進めて行こう。作者はこれ以上語るべきではない。語るべきは物語の登場人物たちである。
戦後27年を経て日本も高度成長期を謳歌しつつあった時代で、物語の中心となる中沢一家は新宿に隣接する新大久保で中規模な食堂を経営していた。その地域は未だ長閑な雰囲気が多く緑も豊かな時代であった。近くには戸山ヶ原(かっては陸軍練兵場があった)があり散歩コースとしては15~30分ぐらいの快適な地域であった。そこの食堂の店先ではタバコ屋もやっていて、稼ぎもそれなりに良かった。タバコの自販機などなく、タバコ屋の看板娘(今や完全に死語)が持てはやされた頃の話である。当時は成年男子の80%が喫煙者でタバコを吸う事自体が大人のシンボルだった。口からはき出されるタバコの煙が大人に成った自分を誇示していたかの様な思いでいたのだろう。時代は変わり現在はタバコを吸う事それ自体が何か気恥ずかしい、自制心が足りないなどと陰口をたたかれる様な社会情勢へと移り変わり喫煙者数も男性で20%ぐらいにと激減している。そのタバコ屋の話であるが、看板娘と言うには少し年増の27~8歳ぐらいのかなり美形の奥さんと30才代前半の無口でよく働く旦那がいて清吉さんと呼ばれていた。紀子さんと呼ばれていた奥さんも、そんな夫を甲斐がしく支えていた。
明日に続く
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