潮騒は聞こえず(3)

新宿に隣接する新大久保と言っても未だ下町風情が色濃く残されている時代であった。あそこの医者はヤブ医だとか向こうの魚屋の鮮度は良くないとか、嘘とも本当とも言えない話が興味はなくても、誰の耳にもよく入って来た。そんな噂の中で3年以上前に、貞雄が脳出血で病院に担ぎ込まれたとか、リハビリ施設も充実していない時代の事で今は伊豆の方の病院にいるとか、65才と言う年令にもかかわらず半身付随も同然になってしまったとか。左半身はほとんど動かず一人ではトイレにも行けない身体となってしまったとかの話は何処からともなく聞こえて来るのだった。富江は5年前に子宮癌ですでに亡くなっていた。58才と言う年令で彼女が嫁いで3年目の冬だった。富江の入院生活は短かく、手術後の抗ガン剤投与からあっと言う間に肺炎を起こし、近くの総合病院での闘病生活は数ヶ月にも満たず、最初の入院から一度も自宅に戻る事もなく帰らぬ人となってしまった。
それから、わずか3年目で今度は貞雄の脳出血である。貞雄は命こそ取り止めたものの、伊豆の病院で長い療養生活を送り続けていた。その貞雄が伊豆の病院から退院してくるかもしれないと云う話で、紀子と清吉の夫婦関係は急にギクシャクし始めたのである。
明日に続く
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