レビー小体型認知症の父の娘さんへの回答(再)

まずは外傷性硬膜下血腫でなくて、良かったです。しかし、本当に腰痛圧迫骨折なのでしょうか?
80歳以上の男性高齢者では、前立腺癌の発生頻度が極めて高く、前立腺癌の骨転移を半年ぐらい前に経験しました。実は私は高齢医学の全てに強い興味を持っていて、認知症はもちろん、整形外科(整形内科:手術をしないで、神経ブロックとか、変形性膝関節症、肩関節痛などの保存的な治療)、さらに皮膚科領域の治療もやっています。何故その様に幅広い分野に手をだすかと言えば、詳細を語りますと、幾ら時間があっても足りないので省略しますが、基本的には大学の恩師が「歩く医学辞書」みたいな偉大な医師でしたので、その下で10年近く学んだ私も、その様な習性が身に付いてしまった様です。小児科は自分の子育ての時代に身を付けましたし、それ以外にも好奇心を持ち過ぎるのが私の欠点です。ともかく、腰痛圧迫骨折であろうと、前立腺癌からの骨転移であろうとも痛ければ、大騒ぎするのは認知症患者さんだけではありません。
それがどの様な原因で来ているのか、どの様にすれば疼痛緩和が出来るのかを考えるのが医師の役目ですが、自分は脳外科だから、整形外科に行って欲しいという安易な発言には、腹立たしさを感じます。昨今では、ほとんどの医師がそうですが。お父さまの様な方をどうやって整形外科に連れて行くのか、その脳外科の医師は考えているのでしょうか?
実際に、疼痛緩和と精神ケアの方法はあるのですが、それが出来る医師は皆無に近いのかもしれません。遠隔治療の方法があれば、直ぐにでも緩和のお手伝いが出来るのですが、現実には歯ぎしりするばかりで申し訳ございません。
【ご質問】
成川先生、改めまして、
覚えてくださっていたことに、
深く感謝申し上げます。
とても嬉しいです。
本当にありがとうございます。
先ほど、早速、脳神経外科で診てもらってきました。
萎縮はかなり進んでいるようですが、
特に心配はないとの診断でした。
腰を圧迫骨折をしているのではないか、、
整形外科で診てもらった方が良い…と言われたのですが、
連れていくのが大変すぎて、
"自然に治る"ともおっしゃっていたので、
家で様子をみる事にしました。
本日の受診時も大暴れで(家では、ほとんど意識がない状態だったのですが…)
介護タクシーの方が迎えに来られた時から
意識が一気に戻ったかのように、
手足をバタバタして怒りだしたんです。
無理やりタクシーに乗せてもらい、
何とか連れていきました。
検査室からも発狂する声が聞こえるほどで…
久しぶりに暴れる姿を見ました…
何でも"認知症"で片付けたらダメですね。
脳神経外科の先生からも、
『これから何かあったらすぐに受診するように』と言われました…
先生からご指摘を頂けて本当に良かったです。
助かりました。
お忙しい中、いつも丁寧にお返事を下さり本当にありがとうございます。
感謝致します。

診察室からコンニチハ(171)

話をゲノム編集に戻します。
まず、ゲノムとは何かを整理してみましょう。
ゲノムの定義は、「遺伝情報の全体・総体」を意味するドイツ語由来の語いであります。古典的遺伝学の立場からは、二倍体生物におけるゲノムは生殖細胞に含まれる染色体もしくは遺伝子全体を指します。
もう少し分かりやすく言えば、人間の染色体は46本あります。この中の2本が性染色体と言われ、XX(X染色体が2本)が女性の性染色体で、XY(X染色体とY染色体が1本ずつ)が男性の性染色体です。性染色体を除いた44本が常染色体と言われ、人間の体細胞を形成しています。人間の精子には23本の染色体があり、卵子にも同様に23本の染色体があります。受精により、精子と卵子が結合して46本の染色体となるわけです。
ですから、人間は二倍体生物に属するのです。この精子か卵子の23本の染色体の総数をゲノムと言います。つまり、人間には二つのゲノムが存在しているのです。
それでは、遺伝子とは何でしょうか。
1本の染色体は1冊の本にたとえることができます。ということは、一つのゲノムには23冊の本があるという事になります。その1冊づつに書かれた文字が遺伝子なのです。
具体的には、人間の第一番目の染色体は2610の遺伝子でなり立っています。つまり、2610の文字で一冊目の本が出来上がっている事になります。ちなみに、二冊目の染色体には1748の遺伝子が、三冊目には1381の遺伝子があります。私たちが日ごろ手にしている本の中に、時々は誤字、脱字が見つかる事があります。二倍体生物にとっては、これが遺伝子異常となって疾患につながってしまうのです。遺伝子の編集と言われていますのは、これらの誤字、脱字を直すことなのです。あるいは、もっと美しい字を書いたり、分かりやすい文章構成をしたりする事で、農産物の品種改良に繋がって行くように、ヒトの遺伝子も操作して、疾患の治療に結びつけたり、糖尿病や高血圧などの遺伝子検索をして、その体質の遺伝子を書き換えることも将来的には可能となるのでしょう。こう書いていきますと、私たち人類は近い将来、全ての疾患から解放されるのではないかと大きな期待感で、胸を膨らませて行くかもしれません。
次回に続く

レビー小体型認知症の父の娘さんへの回答

確か昨年の10月以来のご質問かと、思いますが、その後はどのようにお過ごしかと気になっていました。
3週間程前に階段から落ちたとの事ですが、最も疑わしいのは、「外傷性硬膜下血腫」です。何でも「認知症」で考えて行くのは間違いのもとです。階段から落ちた数日間は見るべき骨折もなく、普通に歩いていたのに徐々に歩けなくなって来たのは、おそらく頭部打撲による血腫が徐々に広がって来たのではないかと拝察します。至急に病院に行って、頭部CTを取るべきでしょう。
レビー小体型認知症だけで、急激に歩行障害が来るというのは考えにくいです。
外傷性硬膜下血腫であれば、脳外科で診てもらうべきですが、ベテランの神経内科医ならば、内服薬だけでも治療する手段は持っています。
私自身、外来で外傷性硬膜下血腫の治療を内服薬だけで治療した経験は幾度もあります。
しかし、脳外科で手術が可能ならば、そちらを優先すべきです。脳外科領域では、盲腸の手術ぐらいの簡単な手術ですから。何日間の入院は必要のなりますが。
ともかく至急に脳外科か神経内科医に診てもらう事をお勧めします。
【ご質問】
成川先生、ご無沙汰しております。
以前、何度かお世話になりました。
今回も、ご多忙かと思いますが、アドバイスを頂ければ、と思い投稿させて頂きました。
先生から頂いたアドバイスを元に、父の在宅介護を続けております。
レビー小体型認知症と診断され、
4年が経ちます。
唐突な質問なのですが、
認知症で歩き方を忘れる、ということはあるのでしょうか?
3週間程前に階段から落ちました。
病院には行っていません。
落ちた当日は何とか起き上がり、
ベッドまで歩き、そのまま2日間ほど、
ベッドで寝たきりでした。
3日めに、自分でベッドから起き上がり、ソファーまで歩いたので、大丈夫かと思っていました。
しかし、歩いたのはその時だけで、
次の日からはベッドから起き上がる事もなく、上半身を起こすこともなく、寝たきりです。
起きるよう、声を掛けても
『よう分からんから』と言い、
全く動きません。
身体を起こそうとしても、嫌がります。
階段から落ちる前は、
1日中、家の中を歩いていました。
食事も摂らず、ずっと歩いている日もありました。
もしかしたら、あんなに歩いていたのに、
『身体を起こして歩く』という事を忘れたのかも…と不安になってきました。
このような事が突然起こる事はあるのでしょうか?

診察室からコンニチハ(170)

【後期高齢者の運転免許】(3)
専門医なら、認知症の深い臨床経験と診断能力で容易に書けるかというと、そうではないと思います。確かに長谷川スケールが30点満点中の20点以下だからとか、画像上で側頭葉の海馬萎縮が著明であったとかの理屈づけは出来るかもしれません。それ以外の知能検査も幾つかありますので、それらを丹念に実施して患者さんとご家族に納得してもらうというのが、一般的な考え方でしょう。
でも、それだけでは何か本質的な見落としがある様な気がしてなりません。昨今は高齢者の運転事故が相次いでいるので、それが認知症という病名に結びついたのでしょう。
でも、何か少し安易な発想に思えてならないのは、私だけでしょうか。何か大きな社会問題化する事故が多発すると、「認知症」であるとか、「睡眠時無呼吸症候群」が原因であるとか、マスメディアを通じて単純な発想が常に一人歩きしてはいないでしょうか?
もちろん、「認知症」や「睡眠時無呼吸症候群」が、交通事故を誘発しやすいのは事実でしょう。
それを否定するつもりはありません。しかし、問題の本質は「運転の適応性」があるのかを問うべきでしょう。医学的に「認知症」とは判断できなくても、適応性のない人は幾らでもいるのです。
例えば、「煽り運転」で事故を繰り返す人と、「認知症」の高齢者と、どちらが「運転の適応性」に欠けているかは簡単に結論づけられないと思うのです。
安易に高齢者だからと言って、「認知症」という概念で括りつける事に疑問を呈したいのです。
確かに高齢になると、瞬発力や身体機能が低下するのは自然のなりゆきでしょう。だからと言って、「認知症」という概念だけで、運転免許証の返納を論議すべきではないと思うのです。
基本的には、繰り返しますが「運転の適応性」に注意を払うべきなのです。「認知症」がなくても、運転すべきで無い人は幾らでもいます。何度も交通事故を起こす人は、若くても「運転の適応性」に欠けているので免許証は返納すべきでしょう。
「それでは、高齢者の運転免許証はどうするのだ?」
話の結論が全くわからないとの、ご叱責を受けることになるでしょう。高齢者の運転能力が低下しやすいという傾向は考慮しても、ただ認知症というだけでなく、それも視野に入れながら、一人の人格として人間性を重んじながら「免許証の返納」を、ご本人、家族を踏まえて相談すべきだと思うのです。医師が安易に診断書を作成するのではなく、あくまでも自主的にご本人と家族が返納するか否かの意思決定を行うのが最良かと思います。
それらの判断材料として、認知機能の診断がなされるべきだと思います。ただ私の考える簡単な判断材料として、多くの方に参考にして頂きたいのは、「車庫入れ」です。
年々「車庫入れ」時にハンドルの切り返しが多くなっているとか、接触事故の回数が頻回である事は、「免許証返納」の大きな基準になると思います。
次回に続く

診察室からコンニチハ(169)

【後期高齢者の運転免許】(2)
つまり本人が一人で来ても、家族と来ても、認知症診断にとって要(かなめ)と言っていい「生活の困りごとを包み隠さず話してもらう」ということは、期待できないことがよくあるのです。唯一の例外は、「お願いだから、危ないからもう運転しないで...。」と家族が切に 願っている時で、この時は、かつてあった色々なエピソードを伝えてくれるのでスムーズです。
逆恨みされやすい。
時に書類を発行した患者さんから後に「免許ダメになっちゃったよ。先生、悪く書いただろう!」とすごまれたり、逆恨みをされることは、実は珍しいことではありません。
はっきりと認知症の診断を受け、数年前から認知症の薬を飲んでいる方でさえ、免許を取り上げられることに納得ができず、頻繁に医院を訪れては恨みつらみを言う方がいるのです。事故を起こしてしまった際の責任の重さなどの正論を懇々と説くのですが、理解力が低下することが認知症の症状の一つであるため、糠に釘という心境てす。その場では渋々納得され たように見えても、数日後に忘れてもう一度来院...電話が何度もかかってくる...ということが起きており、医療機関としても対応にかなりエネルギーを費やすこととなっています。
どちらとも言えない...というあいまいな項目に丸をつけると、その時点では一応免許は 更新されますが、なんと半年後に再び同じ書類が来て、患者さんとお会いすることに。問題 の先送りに過ぎないのです。
免許更新のための認知症診断は、上に書いたような事情でいたって不完全で心もとないのが実情。医師は、限られた情報しかない中で、頭を悩ませながら書類を作成します。本人から車という貴重な交通手段を取り上げてしまうことの心苦しさ。判断力が落ちている方が人身事故を起こした時には取り返しがつかないという恐れ。不十分な情報の中でどちらか一方を選ばなければいけないということは、書類作成をする医師にとってかなりストレスフルな作業です。これを初めて会う医師に丸投げすることは、システムとしては問題です。
そういった意味から考え合わせると、一般内科医は【後期高齢者の運転免許】の診断書には、かかわるべきでは無いと思います。すなおに専門医に紹介状を書くべきでしょう。
では、認知症専門医ならどうするかは、次回のブログで書いていきます。
次回に続く

高木さんへの回答

基本的にご本人の前で、「認知症」であるとか、「うつ病」であるとかの発言は厳禁です。
但し、ご家族やご本人が、その様な訴えで最初から外来受診においでになった時は、ご質問に応じる形で励ましに似た言葉を使ってしまう事はあります。否定的な言葉は極力慎むというのが、認知症ケアの基本です。それをわきまえていない医師は、まず認知医を語る資格はありません。高血圧や糖尿病で肥満体型の方には、時に厳しい忠告をしてしまう事はありますが。
認知症の初診で訪れた方には、通常は頭部CTを撮影して、長谷川スケールをさせて頂いていますが、前もってご申し出があれば、それさえ省略しても構いません。幸いに検査が好きであるとのお話でしたので、健康診断的な雰囲気で診察をして認知症の有無をある程度みて行く事は可能です。大きな病院ですと、最初から検査、検査でいたずらに患者さんやご家族に戸惑いを与えることが多いのは現実です。
私どもの病院にご連絡を頂いて、外来受診の予約をお取り頂き、このブログを見て外来受診を希望して来たと言って頂ければ、たぶんご不快な思いを感じる事はないと思います。
緊急時(徘徊や乱暴な振る舞いで家庭が崩壊しかかっているとか…)には別ですが、外来予約は少し取りにくいかもしれません。まあ、それでも1ヶ月以上お待たせする事はないと思います。先日も予約なしで外来受診にいらして、2時間近く待たされたと言って、怒って帰られた方がいらっしいました。私を含めて外来スタッフは幾重にも「お待たせした事をお詫びしたのですが…」、お怒りは解けませんでした。また、時にはご予約を頂いても1時間近くお待せしまう事はあります。初診の方が2人以上おいでになると、それだけで1時間以上はかかってしまいますので。どうか、ご容赦の程お願いします。
【ご質問】
初めまして。HPを拝見して、受診させていただくことを考えております。84歳の母、独居の母がいます。健康診断ではほとんど何も問題はなく、一人で何でもできる状態です。ただ、不安が強く、昨年は1年間に3回救急車を呼び、病院に搬送されました。自分で119番してからも、台所の片づけをしたり、家の戸締りをしたりしてから、救急車までは歩いていけるぐらいしっかりしています。本人は動機がとまらなかった、胸が苦しかったというのですが、病院で検査しても、何もなく、せいぜい点滴をしてもらって帰されます。とにかく、検査が大好きで、大腸、胃、心電図、脳・・・と無理やり何かの症状を探して、検査ばかりをしているような印象を受けます。最近は落ち着いていたのですが、感情的になって娘に電話してくると、途中で激高して手が付けられなくなったり、体調が悪いことを訴え、こちらの言うことには耳をかしません。もともと人付き合いも少なく、うつっぽい性格なので、動悸や不安感もその症状なのではと考えています。寂しさや独居の孤独感もあるものと理解はしています。知人からは、感情の暴走があるなら、一度認知症の検査もした方が良いともアドバイスを受けています。普通の病院ですと、症状を言えば言うだけ、検査や薬が増えてしまいます。また、話をあまり聞いてもらえないのも不満と不安の原因のようです。先生のところで、それらを含めて診察、治療をしていただけるのか、教えていただければ幸いです。本人はとてもしっかりしているので「うつ」「認知症」と言う言葉だけでも断固拒否になってしまうと思うのですが、受診にあたっては、そのあたりはご配慮いただけるのでしょうか?不躾な質問ばかりで恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

診察室からコンニチハ(168)

突然ですが、しばらく臨時講演をさせて下さい。今や社会問題化している
【後期高齢者の運転免許】(1)
についての話です。
「認知症が疑われますので、診断をお願いします」という依頼を受ける医師は、一般内科でも、時にはみられます。認知症専門医は当然として、神経内科、精神科などでも、この様な依頼の書類を受ける事が多くなりそうです。
高齢者が免許更新のために免許センターに足を運んだ時に簡単なチェックを行い、そこでひっかかった場合、後に本人のところにこの書類が送られてきます。もしくは一時停止違反などで警察と接点があっても、やはり送られることがあります。
 この書類作成業務、いくつかの点で問題ありありです。
1) 本人が一人で来るとお手上げ。
2) 家族が来ても診断に協力的でないとお手上げ。
3)逆恨みされやすい
などです。
一概にMRIや長谷川スケールだけでは、医師としては判断に迷う事が多いと思います。
世間一般では、検査や診察をすれば、認知症かそうでないかをクリアカットに判別できるものだと思われています。一般の方も、そして公安委員会もそう考えているのでしょう。やむを得ないことではあります。
ここで認知症の定義を見てみましょう。 「記憶障害に加えて、失語・失行・失認などの障害があり、生活に支障をきたすようになった状態」
年相応のもの忘れだけでは、認知症とは言えませんし、記憶力などは長谷川式でおおむね判断できるとして、ネックは後半にあります。生活に支障をきたしているかは、診察室ではまずわかりません。これまで継続的に通っていて接触頻度が多い方であれば、最近薬の飲み忘れが多いよねとか、この間は検査を忘れてドタキャンしたとか、「生活に支障をきたし ていることがうかがえるエピソードを拾い上げられる確率」が高まります。でも実際には、この書類をもらって初めて受診しましたという方の方が圧倒的に多いのが実情です。
本人に聞いてみますか?
でも、考えてみて下さい。認知症の患者さんはしばしば病識(自分が病気であるという認識)がありません。生活に支障がないと思っているのは本人だけで、 実は周りに支障があり大変ということは少なくないのです。運転ミスも、周りに支障がでる典型ですね。
そしてもし本人が「最近ちょっともの忘れするな...」と自覚したり、生活の中で困っていることがあったとしても、診察室で正直にそれを申告するでしょうか。免許を更新したくてわざわざ免許センターに行って、更に面倒くさい思いをして慣れないクリニックを受診しているのです。それもこれもすべて「免許を取り上げられると困るから」わざわざ自分に不利になるようなことを言わずに口をつぐむ方が、普通ではないでしょうか。
かくして一人で来院した場合、一切の外部情報がない状態で診断を迫られることになるのです。これは難しいというか、正確な判断は不可能と言わざるをえません。
付き添いの家族がいれば万々歳かと言うと、そうとも言えません。夫婦は同年代だから、 来院患者と同じくらい認知症らしい連れ合いだった場合どうしましょう。 「じいちゃんは、私なんかよりよっぽどしっかりしています」とおばあちゃんに言われて、 生活に支障なしとしていいものか。
娘さんなどそれなりにしっかりした付き添いでも別の問題が生じます。免許が欲しくて家族が同行受診しているのに、本人に不利益になる情報をきちんと言ってくれるかということです。夫婦 2人のどちらかが運転できれば何とか生活は回るが、免許返納となると特に地方 では一大事。生活パターンをガラリと変えざるを得ません。日々の買い物から医療機関受診まで、運転をできる子供世代が全面的にサポートしなくては生活が回らなくなるため、子供世代の生活にまで影響が及ぶのが実情です。そうなると共犯で「もの忘れは年相応くらいだと思います」と言ってしまっても、おかしくないのです。
次回に続く

診察室からコンニチハ(167)

これらゲノム編集の革新的な解明で、これからの私たちの身体や精神は、限りない健康を保つ事ができるのでしょうか?
まずは、最先端の「ゲノム編集の概要」から説明してみます。
 今から10年ほど前に登場した「ゲノム編集 (genome editing)」は、旧来の遺伝子組換え技術とは原理の異なった新しい遺伝子改変技術です。
【旧来の遺伝子組換え技術とは】
人類は農業開始以来、効率良く食糧を確保するために様々な育種技術を駆使してきました。その結果、今日栽培されている作物のほとんど全てが、原種(野生種)とは程遠いものとなっています。従来の育種では、10年ほどかけて、多収性、高品質、矮性、耐病性、耐虫性、除草剤耐性、耐冷性、早晩性といった優良な形質を持つ新品種が生み出されてきました。これらの新品種は、当然、新たな組み合わせの遺伝子を持ち、遺伝子産物として新たなタンパク質を持っています。つまり、従来の育種においても遺伝子組換えにおいても、本質的に、新品種が元の品種と比べて「何らかのDNAが変化したもの」である点では違いはないのです。
これら旧来の遺伝子組換え技術では、遺伝素材は同一の生物種か、特定の近縁種に限られていました。この技術では、改良された表現型(形質が現れる遺伝子)しかわからず、遺伝子の変化については未知でした。しかし、新しい遺伝子改変技術では、導入遺伝子の機能と表現型の関係が明確になってきました。この点はむしろ、より正確でかつ幅広い改良を計画的に進める上で有利に働くと考えられます。
つまり、生物の種に関係なく遺伝子の素材となりうるということです。
結論から言えば、表現型を人間が変えていくことに関しては、本質的に従来の育種(農産物では)と変わりはなく、遺伝子組換え技術に固有のリスクが生じるものではないと考えられます。リスクとして検討すべき点は、遺伝子組換え技術そのものではなく、どのような生物にどのような遺伝子を導入し、その結果、何が新たに作出されたのかということにあります。場合によっては、その結果を予測することが非常に難しいことがあることも考慮しなければなりません。
米国では、「バイオテクノロジー規制は、製品を作製するプロセスではなく、製品そのものの特性とリスクに注目して実施すべきである」という考え方が表明されています。ここでの製品そのものの特性とリスクの判断には、OECDでいう「ファミリアリティー」の概念に基づき、遺伝子ごと、作物ごとの個別具体的な検討が必要であると考えられています。「ファミリアリティー」とは、安全性を判断するための十分な利用の経験と知識の蓄積のことです。例えば、ジャガイモなどの農作物の遺伝子組換え体では、長い食利用の経験に基づき、その特性やリスクについて把握することは容易ですが、これまで利用経験のない、例えば、環境浄化や有用物質の生産を行う新しい種類の遺伝子組換え体については、そのリスクについて慎重に判断していく必要があるとする考え方です。
次回に続く